ハーヴァード大のハークネステイブルー生徒も先生もたがいに学びあう

教壇の教師に向かって並び、一方向で講義を聞くという授業ではなく、ハークネステイブルと呼ばれる大きな楕円形のテイブルに全員が向かい合って座ります。

ただ講義を聴くだけでなく、全員のディスカッションで授業が行われるのがハーヴァードのユニークで大切な伝統だと聞きました。

今は大テイブルはありませんが、筆記台のついた椅子を、教室の壁にそって並べたり、椅子4,5脚の小さな円で、毎日違うグループをいくつも作りました。

ディスカッションをしてその中身を発表(プレゼンテイション)するというのが、毎日のレッスンでした。

サンデル教授の講義で有名になったサンダースホールで、毎週一回、全体講義があって、その時は演壇に向かって座り、講義を聞くというスタイルでしたが、質問の時間もたっぷり取られ、毎回10人くらいの生徒が質問をしました。

らくらく英語教室でも、大きなテイブルで向かい合って勉強しているのは、一方的に教え、教えられるのではなく、共に学ぶという考え方だからです。

初めて習う外国語をディスッカションだけで進めるのは無理がありますが、教師の質問に一人の生徒が答え、それに対して別の生徒が違ったことを言うといった形で他の生徒の考えを聞くことで、理解が深まるということがあります。

また長年教えていて、教えることは学ぶことだとつくづく実感します。先に修得した私が「英語ってこういう言語なのよ」と伝えますが、それに対して、受け取る側の感じ方や、理解は様々。

生徒の質問にはよく虚をつかれます。私自身にも思いもかけなかった質問に、英語の本質、日本語との違いを表していることが多いのです。

それを改めて考え応えることで、伝える側の私自身も英語の理解が一層深まるということがあります。

それがレッスンにも反映されて、らくらく英語学習法が出来上がってきました。

其れなので、レッスンでは、’先生’も’生徒’もみんな名前(ファーストネイム)で呼び合います。

オックスフォード、ケンブリッジ、ハーヴァードといった世界の有名大学でも’プロフェッサー サンデル’(サンデル教授)と呼びかける人は誰もいず、権威ある教授でも、学生と同じようにファーストネイムで呼ばれています。

もう30年も前の話ですが、タイの大学の先生が、アメリカの大学に留学した時、試験で良い点数を取ったのに成績の評価が悪いので抗議に行くと、「あなたは授業中、一度もあなた自身の意見をのべて、ディスカッシヨンに参加せず、授業に貢献しなかった」といわれたそうです。

らくらく英語教室のレッスンも、一方的に教えられるだけ聞くだけという受け身ではありません。

それぞれが自分の意見や考えを積極的に言うことで、自他ともに考えの幅を広げるきっかけとなり、合わせて、授業の活性化に寄与していると自覚してほしいのです。

だから’先生’という呼び名をやめているのですが、生徒だけでなくお母さんにもなかなかすんなりとは受け入れてもらえません。

通りで私の姿を見かけて「きょうこぉぉ!」と大声で呼ぶ孫に、おばあちゃまが「先生を呼び捨てにするなんて。。」とあきれていたそうです。

師を尊敬するという日本の伝統的な美風も保ちたいものですが、私としては、「先生」と呼ばれると、一人の人間として呼びかけられた気がしません。

当たり前のこととして考えることもなかった思い込みの扉を開き、角度の違う考え方を理解することは、外国語を学ぶのに必須のこと、日本語と外国語の発想の違いを知ることは、その言語の習得を容易にします。

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