レッスン室-金閣寺と同じ畳に座って

10畳のレッスン室は、大きなテイブルと、食器棚で、一応西欧のダイニングルームの体裁をとっています。

英語は言うまでもなく生活用語ですから、外国の生活様式を知ることも大切。

プレイトとディッシュや、ポットとパンの違いなど直ぐ実物を取り出して、実感を持ってもらうことができます。

レッスンは置き畳に座って、初めと終わりのあいさつをするときは正座しますが、あとはどんな格好でも結構。椅子よりも身動きがしやすいのではないかと思います。もうずいぶん前のことですが、畳に座ったグループと椅子の生徒たちのテストの点数は、畳に座ったほうが高かったという記事を読んで、我が意を得たりでした。

日本人の腰の強さは、座ることからきていると思うからです。

実際、正座してあいさつする男子には風格が、女子には匂いたつようなきれいさがあり、日本文化の華があります。

グローバル化の世界では、良し悪しは別として、英語は共通語で、これからの世代は、仕事上で、英語を使いこなせなければ不利になる状況が多くなることは確実でしょう。

けれども、英語を使いこなせるだけでは十分とは言えません。考えの違う人たちとも協力し合える人間力、教養も必要ですが、自分が何者であるかというアイデンティティの土台となる生まれ育った文化を身に着けていることが必須だと考えます。

私自身普段も着物で暮らしていますので、欧米諸国に行くときも、着物でとおしています。

映画やテレヴィで見るだけで、実際に着物を着て生活しているのを見たことがないせいか、多くの人から、「きれいですね」と声をかけられたり、「あなたほど優雅な女性はいない」と、今まで日本人男性の誰一人言ってくれなかった最大級のお世辞も。

もちろん、私自身ではなく、着物が美しいのですが。豪華な振り袖や、訪問着もそうですが、夏物の絽や、紗,縮など日本独特の素晴らしさは誇らしさすら覚えます。

イタリア、フィレンツェの地元レストランで、ご夫妻が別々に「本当に美しい」「身近で見ることがて本当に良かった」と言いに来てくれました。

そのとき着ていたのは、紺の濃淡のかつお縞、木綿ですからいわば普段着、それでも、外国の人々が感激するのは、日本人の持つ美的感覚ではないかと思います。

写真もよく「撮らせて」と頼まれました。すれ違いざまに撮っていく人もいますが、たいていは、丁寧な敬意を持って頼まれます。

いつも簡単なお茶道具を持って行って、女性には持参の着物の中から気に入ったのを着せてあげて、お点前をお見せした後、彼らにもお茶を点ててもらいます。

彼らの真剣な態度には、日本文化に対する敬意が感じられます。

母親と一緒に茶道を習っている中2の男子生徒が、ハーヴァードの学生たちに、お点前を披露した時は、着物姿で、少年らしい、細く繊細な指でお茶をたてる姿はすてきでした。

そういうこともあって、私は生徒たちに「日本の伝統的な文化を何か一つ身に着けておくといいわよ」と勧めます。

バリ島で空手の型を披露した青年は、一躍地元の人気者になりました。

友達の広い庭から摘んできた花々を花瓶に投げ入れたら、家の人が見とれてしばらく立ち尽くしていたことも。

ですから、日本文化と肩ひじ張らずとも、ちょっとした心得があれば、心が通い合うのです。

最近の家は、畳の部屋がなく、生活も西洋化していますが、ここのところ、置き畳が流行っているそうです。やっぱり寝転がってテレヴィを見たいとか、近所の子供たちが集まってきて、ゲイムをやっているとか、日本人の中に、まだ畳の感触が残っているのでしょうか。

レッスン室の置き畳も、九州の吉田一哉さんが有機肥料で育てたい草を編んだ畳表で、京都の金閣寺でも使われているそうです。

其れを世田谷区の宇奈根にある四代伝わる畳屋さんが置き畳にしてくれました。

座布団は、狛江市の200年前の家に住む三代目の布団屋さんに、私が何十年も使っていた敷布団の綿を打ち直して、布団屋さん自ら柿渋で染めた布で座布団に仕立ててもらいました。

今は、和の感覚を身に着けるのは、なかなか大変なことですが、週に一回でも、地元の職人さんたちの手になる和の一端を体験してほしい、そして私自身が、実際に見聞きした明治大正昭和の大先輩方の姿を伝えたいと思っています。

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