間違いと質問は大歓迎

質問されると、一様にためらいがちに答える生徒たちの姿に、いつも正解を求められて、間違いは許されないのだなと痛感します。

良い点数を取るために刻苦勉励しているのに、単純なケアレスミス(不注意な間違い)が多いのはなぜでしょう。あまりにもやることが多すぎて、習ったことを素通りさせてしまうために、自分で考えて、応用する力がついていないような気がします。

英語に関して言えば、私立校は進む速度が速すぎ、公立中学は教科書が簡単すぎ、少ない英文数のなかに、文法を詰め込みすぎているので、生徒は英語の構造を立体的に把握できないのだと考えます。

だからこそ間違った時がチャンス。なぜ、どの文法からこの答えを出したかと問われて考えることで、ああ、そういうことなのか、と納得して、初めて身に付きます。その繰り返しです。1度聞いただけでは、わかったつもりになるだけ。

間違ってみて、次はこういうことに気を付けて、こうすればいいんだな、と自分の言葉で考えられる。

むしろ、学校の定期試験にいい点を取りつづけている生徒の方が心配です。公立中レヴェルなら、要領よく丸暗記をすれば、ある程度の点数は取れますが、それで安心して、誤解や理解の及ばないところがあぶりだされないために、本番でぼろが出ます。

レッスンごとに何か質問は?と尋ねますが、初めての学科で、わからないことだらけだと思うのに「こんなバカな質問をすると。。」という思いが強いのか、あまり質問は出てきません。

アメリカ人は「こんなバカな質問をするのか」とさすがの私もあきれるような質問を、臆することなく平然と質問し、教師もあきれることなく、当たり前に答えています。これは見習うべき点だと思います。

らくらく英語教室で私が受けるのは、問いかけは稚拙であっても、よくぞ聞いてくれたという質問ばかりです。

日本語と英語の発想の違いからくる、英語を学ぶ日本人なら、いつかは持った問いが多いです。

すでにある程度英語を把握している私には思いもつかない質問なので、「ああ、初心者はここでつまずくのだ」と教えられます。

時には、当日の課題を外れて、その問いをより深く理解できる文法事項をやることもあります。

自分から発した問いなので、実感が持てたことが、身に着ける第一歩となります。

教科書を読んで、意味を推量し、試験でいい点をとるだけでは、実際に使える力にはならない。実感と納得が不可欠だと考えます。

こうした生徒たちの間違いや質問から啓発されて、らくらく英語教授法は、私自身の海外での勉強に加えて、進化し続けています。

2012年、ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸彌教授が、「失敗は多くのことを学べる機会。若い人はいくら失敗したっていいんです」と朝日新聞のインタビューで述べています。

受賞を伝える同新聞には、「挫折こそ万能の父」と大きな見出しが躍っていました。

長い人生で、失敗や挫折は避けられないし、人生を豊かにし、考えを深め、実力をつけるのに欠かせないと私は考えていますが、英語学習に限って言えば、間違いや失敗を正すだけでなく、点検検討して、肝心の本番で同じ間違いをしない心構えを確立することが絶対必要と考えます。

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