母は偉大なり

お母さんて、我が子にすごい力をおよぼしているのだな、とつくづく思います。

以前、町内会の集会所でレッスンをしていた時、毎月の月謝を当番のお母さんがまとめて持ってきてくれるのですが、入口の戸がガラッと開く音がした段階で、誰のお母さんが来たかわかりました。その子の顔がふっと和らぐのです。

逆に、お母さんが病気だと、子供は言葉にならない奇妙な精の抜けた状態になります。お母さんがほかのことに気や精力を取られていても同じです。

性格が温順で、理解力もあるのに、成績が今一つパッとしない。「頭がいいのに。。」と私はいぶかり、本人も自覚しているのに宙ぶらりんな状態がつづいていた男子が、3年2学期になって、俄然やる気が出てきました。ひょんなことから、ずっと介護を続けていたお姑さんが亡くなられたことを知り、私は「ああ、そうだったのか」と納得しましたが、お母さんは自分の気が息子からそれているのは気づかず「もっとやればできるのに」と言い続けていました。

打って変わって勉強に打ち込みだした息子も「もっと早くやる気を出せばよかった」と言っていましたが、彼の責任ではないのです。

お母さんの注意が向けられるようになって、彼自身だけではなく、親御さんも私も、彼にぴったりだと納得のできる学校に合格しました。遅すぎるということはないのです。

また、順調に受験勉強をつづけていた女生徒が、間際になって、力を落としたので、お母さんに尋ねると、姑さんが入院中とのことで、お母さんも気づいて彼女へ注意を向けたので、本人も気力をとりもどした例も。

どちらも表面的には元気がないわけではなく、しょんぼりしているわけでもなく、本人も無意識なのですが、体の芯が抜けてしまっているのです。

レッスンも宿題もまじめにやっているわりに成績の上がらない女性徒がいて、「小学校からこちらに来ているのに」といぶかるお母さん自身の口から、「弟のスポーツクラブの世話が大変で」と聞いたときピンと来て、お母さんに話しました。

気づいたお母さんが、彼女にも注意を向けるようになった時、彼女は大変身し、見違えるように理解力が高まって、言うことが冴えわたっていました。

賢いお母さんだと思いました。

自分の気がそれていることに気づかない、認めないお母さんもいます。

小学英語のクラスで、抜群の頭と勘の良さを発揮していた女生徒が、中2の時に、お母さんと相談にやってきました。

彼女の定期試験の答案を見て、私はお母さんにむかって、「私は、この人の能力を知っているから、これが実力とは思えない。これは意欲を失くして投げている答案だ」と言った途端、無言の彼女のほほから、大粒の涙が伝い落ちました。

1年の約束でレッスンを始めると、レッスンの時はよくできるのに、「恭子に見てもらっているのに、なぜ成績が上がらないんだ」とお父さんが怒るくらい、目に見えての効果はあがりませんでした。

私自身も原因がつかめないでいると、やっと、「お母さんは弟のスポーツクラブにかかりきりで、毎日曜日、私は家で、いつも一人ぼっちで、受験勉強をしてた」とぽつりと言いました。

「弟の出産で、おばあちゃんに預けて実家から戻ってきたら、あの子は自立してたのよ」というお母さんは、私が夜遅くなるので、お迎えだけでも来てあげてくれないかと頼みましたが、一回もお迎えはありませんでした。

最後のレッスンの日、二人でフルコースのディナーを作って食べていると、「私が大人の心であきらめたらいいのかな」と言いました。彼女なりの自立宣言だったのでしょう。

進学に関しては紆余曲折はありましたが、先日、丸々と太った赤ちゃんを見せに来てくれた彼女は、幸せそうでした。

かわいい顔立ちで、男の子にも興味があり、反抗期真っ盛りの女生徒、お母さんが心配しますので、一緒に勉強するようにすすめました。

最初のうちは、レッスン中でも、母親に罵詈雑言、お母さんも私もじっと我慢の子で通しているうちに、ダイニングテイブルで一緒に宿題をするようになり、「お母さん!恭子の宿題やったの!?」とお母さんを叱るつけるまでに。何とか、無事に中学を卒業しました。

こうした、無意識の心理面だけでなく、隣室に母親がいた生徒の試験点数が良かった、という実験結果があるように、2年間、2組の母子が一緒に勉強したクラスはめざましい成果があったようです。

男子が、「恭子の言う通りやってれば出来るんだよ」と言い、都立高校で、試験の問題が簡単すぎると先生に文句をつけ、「ほかの生徒のレヴェルは君ほど高くないんだよ」となだめられたとか。

高校時代はあまり勉強しなかったけれど、英語の成績がずば抜けていたためロンドン大学の入学許可がでて、英語研修中は1日17,8時間机に向かっていたそう。

女子は、私立大の宇宙工学に進学し、ケンブリッジ大の短期留学にも選抜されました。

2年間の英語クラスがすべてを決定したとは思いませんが、ほかの例も含めて、母親が一生徒として一緒に勉強した時、言葉にならない効果があると実感します。

お母さんだけでなく、お父さんと一緒に定期試験の前日に地理の勉強をしたら、点数がぐんと跳ね上がったという例も。

それでやる気が出て勉強をつづけたら良いのですが、お父さんとの勉強は一回きりで、点数も逆戻り。

親御さんが教えるのが子供にとって一番いいのではと思うことがありますが、定期的に継続して専門的に教えるのはやはりプロの仕事なのでしょう。

とはいえ、お母さんが子供たちが学校に行っている間に教科書で勉強して、戻ってきた子供たちに教えたので、塾に行かずに好成績を収めた、という記事を読んだことがあります。

そういうこともあるので、生徒本人、親、私の責任と功績の比率は4:3:3、あるいは3:4:3だと考えています。

もちろん、私自身は3割の配分内で、毎年、欧米の大学のサマースクールのコースで研修するなど、教授内容の向上に努めていますが、教授内容が良くても、ご本人のたゆまぬ努力と実践なしでは、活かされません。

どんなに頭がよく、能力があっても、この二つなしで、志望が成就することはありません。

そういうわけで、生徒が4ですが、なかには、「この親あっての生徒本人」と感嘆する賢い親御さんもいらっしゃるので、親が4という場合もあるのです。

もちろん親御さんの賢さだけで、すべてがうまくいくというものではなく、そういう親御さんの薫陶を受けて、実際に勉強し、成功するのは、やはり本人次第であるのは言うまでもありません。

人間誰しもそうでしょうが、やる気に火がついて、本気が出れば、想像を超える力を発揮します。

そういう生徒に何人も出会った半面、頭もよく、能力もある生徒が、受験も近づいて、死にもの狂いになればすごい結果を出せるのに、と待っていても本人の気が動かない場合もあります。

それでも親の期待を下回って入った大学で、俄然やる気がでて必死に勉強し始めた、という例も。

親御さんにしてみれば、この教室で、本気を引き出してもらえば、という気持ちがあるかもしれませんが、私にはそんな力はありません。

仮にあったとしても、本気というのは、生命力の根本に触れる体験だと思うので、他人が操作してはいけない分野ですし、他人に誘導された本気では、本物にはならないと長い経験からも信じています。

ですから課題として出すホウムワークも私に対する義務ではなく、一つの言語をマスターするために読み、書き、しゃべり、聞くという実践に不可欠な練習だと伝えます。

ホウムワークは、ノウトを交換して答え合わせをしたり、ホワイトボードに書きだした英文を皆がそれぞれ気づいたことを言って、修正してゆきます。

だから課題に手を付けずレッスンにでてぶっつけ本番でやれば当然時間がかかりそのことで、レッスンの進行にどういう影響が出るか、また、準備をしてきたために早く終わったら、手持無沙汰の時間をどう活用するか、それぞれが、経験して考えることが大切だと思っています。

私が声を上げるのは、同じケアレスミス(不注意な間違い)を繰り返す時だけです。

やらなければならないことは、だれしも頭ではわかっていても、親子、友人関係などそちらに気を向けていられない事情がある時もあります。

むしろ、忙しい生活の中で、英語学習に集中できる精神状態に入っていることは、ラッキーであり、教える側からすれば、ありがたいと感じます。学んだことが身につく歩留まりが大きいからです。

サブコンテンツ

このページの先頭へ